2014年9月12日金曜日

[記録]クリス事変について思う⑤(終):銀色の海を、見上げる

以前noteにあげたクリス脱退の一連の流れについての個人的な記録をここに再録したい。全5回のうちの最終回。

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2014/05/27 03:53


「クリス事変について思う」と名前をつけて書いてきた、この備忘録のような日記のような文章も、ライブ後記を兼ねた今回でひとまず区切りにしたい。今後、何か事態の進展があれば記録すると思うけど、ここまでの自分の感情の変遷と事態の動き、そして今回、直接見た11人の姿を書いて終わりにしようと思う。多分に私見と私情を交えたこの文章を読んでくださった方々、ありがとうございました。
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24日。
ついにこの日が来た。クリス事変後、ただの一週間後が、7日間のカウントダウンに変わってしまった。オリンピック競技場にあるコンサート会場の周りには11人分の巨大フラッグが翻り、会場は熱気に溢れていた。
軽装になり、最低限の荷物とともに中に入る。花道を巡らせて、モニターも各方向に配置した設計で、明らかに年末のコンサートよりも観客への配慮がなされていた。

正面ステージの両端には、2本の生命の樹がその枝を茂らせている。

スタンディングの後方から見たステージは、それなりに余裕があり、開演以降も時折アタックをかまされた以外は、混乱はそれほど生じていなかった。
前に進もうとして戦場最前線に紛れ込んでしまった年末SMTWと比較し10倍楽で、メンバーもモニターも10倍良く見れた。周りに色んなメンバーが来るため、四方上方を仰いでどこに行けばいいのか惑う、さながら宇宙戦争の主人公親子状態だった。ただ、スタンディング前方は3階から見ていた友人曰く、非常に密度が高く危険だった様子。確かに、開演前から黒服がペンカフェグッズの団扇で柵を挟んでファンを仰いでいるのが見えた。
Dブロックから見た公演は、横から正面からいっぱいメンバーを凝視したはずなのに、残っているのは光の海に浮かんでいる後ろ姿と、彼らの発した言葉がほとんど全てだった。今回は、自分にとってそのような機会だったんだと思う。
コンサートが始まる。ソロステージも盛り込んだセットリストは、めぐるましく息つく暇もなくて、終わってみるとその時間以上に密なステージだった。
11人のメンバーは、広いステージを縦横無尽に移動し、たゆまず観客を魅了し続ける。一人一人の動きが、表情が、汗が見える。
セフン。ソロステージは、堂々として力の入り過ぎない、彼の良さが十分に現れているダンス。もう、マンネと呼ぶには頼もしすぎる、正しくまっすぐ育った背中を見ていた。タオちゃんが、クリスとの写真をアップする頻度が減る度に、セフンとの笑顔が増えていったことを思い出す。タオちゃんが好んでアップする、自分らの足元を切り取った写真。これからも、タオちゃんの横にはいつでもセフンがそばにいる。それに、安心する一方で、心臓をかぎ針で引っ張られるような寂寥がなかなか去らない。精神的にも、セフンはもう、一つの支柱になっている。
スホ。スホさんは、何と言っても顔がいい。整っているという意味だけじゃなくって、彼の表情は言葉以上に雄弁だという意味で。1人で歌って踊るよりも、誰かと居たほうが映える人だなと思った。悲しくて苦しい歌がよく似合う。でも、そういう顔はステージだけで見ていたい。できるだけ、辛さや悲しみに顔を歪める彼の姿は見たくない。中毒を終えてフラフラになったカイくんがあわや倒れんと気を揉んだときに、隣に立っているのがスホさんで良かったと思った。そういう人。彼のことばに期待してしまう、そういう人。
カイ。踊っている時の、狂気が四肢を持ったような形相と、瞬間に崩れるやわらかな笑顔の対比は、ダンスの次に神が与えたもうた2番めのギフトだと思った。誰もが彼を見ずに居られないし、愛さずにはいられない。そういう自分の特別な場所から、しかし、彼は、丁寧にこちらを見つめてまっすぐに声を掛けてくれる。それは、神に与えられたものではなく、彼が生きてきた中で積み、獲得した、最も尊い徳だと思った。
タオ。一番良く笑って、一番大きく叫んで。舞台に飛び出した弾けるような笑顔が嬉しい。ここのところの彼は、過去を自分の背中から引きちぎってはどんどん捨てていくような、頑なで一方を向いたエネルギーに溢れている。でも、それは悲壮なものではなくて、これからの彼の柔軟な強さに変わっていくといいなと思う。内に閉じ込めるのではなく、外に放出することで強くなればいいと思う。たくさん笑って、たくさん泣いて、これからの道を進んで欲しい。舞台に映える人。そろそろ武術以外のソロステージが見たい。
チャニョル。勝手に、器用貧乏という印象を今まで持っていた。だが、身体という制限から突き抜けんとせんばかりの全力のダンスをみて、彼の良さはこういうところにもあるのかと知った。今回のコンサートで一番印象が変わった。顔が変わってきたように見える。精悍な、自覚の刻まれた顔になってきた。汗が滴る腕と胸元が官能的。現在、メンバー内で一二を争う忙しさだと思うけれど、極限の状態で発する魅力を彼に見て、同時に感じる興奮と自己嫌悪。その心身共にある真っ直ぐさが、一番の魅力だと思った。
ベッキョン。とにもかくにも人気。ソロのピアノ弾き語りと曲の選択までファンの欲しいところにまっすぐボールを投げてくる人。ハンドルの遊びの部分を残せる人。今日は、ちょっと笑顔が少なかった。外に発するメッセージと自分の中の感情が、バランスを違えているのかもしれないと思った。ベッくんは、どう考えてもこのチームに不可欠なメンバーだけど、それが負担になってないといい。杞憂かな。もっと、皆に頼れるといい、と思う。外仕事ででもそういう場が、見つかりますように。個人的には、ベッくんの合気道が見たい。
レイ。いつでもメッセージが変わらないことはテンプレと評されることもあるけど、この人の場合はそれが、様式美を超えた安心と感動をもたらす、と実感する。ホッとして涙が出るかと思った。「皆可愛い」と「体調に気をつけて」と、微笑みながらずっと言ってもらいたい。それを聞くために、これからも現場に行こうと決意を新たにする。今回は、「みなさん、幸せとは何でしょうか?」という名言まで発して、私はイシン一神教に完全に帰依した。記者会見の対応までも一貫して、プロすぎた。「この人を好きでよかった」と、ファンに思わせてくれる人。パフォーマンスはもちろんのこと。
ルハン。今までは、喋る時に決まりきったことしか言わない物足りなさがあった。今回、ラストのMCでそれぞれがクリスの件を暗に示唆するメッセージを発する中、最後にマイクを持った彼が「今度コンサートするときはもっと(ダンスの振りで服の裾をお腹が見えるように)上げますね!サランハムニダ!」と言って場を沸かせたことに素直に感動した。お涙頂戴を選ばなかった彼なりの矜恃なのかと思った。各方面に、まだまだ伸び代を感じる。もう少し肉がついたら、ダンスに良いのでは。顔が本当に小さいし美しい。
シウミン。恥ずかしがり屋の職人みたい。群舞や、誰かの後ろで踊っている時にはあんなに100%に、クールに踊っているのに、自分にスポットが当たると突然剽軽に、照れ隠しに走っているように見えるのは何故だろう。チェンが今回自分から前に出ようとしていたのとは反対に、後ろで敵の侵攻に備え待機するDFのようにシウミンは見えた。たまには溢れるくらいの自信を持って欲しいし、もっと前に出てきてほしい。そういうシウミンが見たい。もっともっと、欲張って欲しい。その控えめさが彼の人気の故なんだろうけど。ゼンマイ人形のように、たまに時空を止めちゃう一瞬の、瞬間最大風速がすごい。
チェン。チャニョルと共に、個人的にステージングが見違えたと感じた。ダンスもうまくなっているし、何よりフルスロットル感が見る者を熱くさせている。トークでも、もともと彼に負う部分は大きかったように思うけど、より安定感があって、より頼もしく見えた。中国ではまだ、これを発揮できないのが残念。そしてチェンチェンは、カイ君と並んで自分だけの言葉を持っている人。「雨降って地固まる」は、寂しいけど、真理なのだと思った。これからの活動で、もっと大っきくなると思う。
ギョンス。鶴の一声みたいな人。1人でセンターステージで微動だにせず歌っても、会場を彼の声で包んでいた。こういう人がメンバーにいてよかった。お茶目なところが垣間見えるのも大好きだ。「これからが、始まり」然り、要所要所でギョンスがいう言葉には、ファンもメンバーも大きく影響されている。皆に信頼される人。メンバーに愛される人。政治的な局面でもうまくやれると思った。それが頼もしくもあり、恐ろしくもあった。


コンサートが進んでいく。

揺れるペンライトの銀色に光る海を背に、生命を燃やすように踊っている青年を見て、ぽろぽろと涙が落ちる。それがどういう感情なのか、自分でも全然分からなかった。
『XOXO』のイントロがかかり、会場から歓喜の声が上がる。一番好きな曲で、一番聴きたい曲だった。大きな会場を埋めるように、幸せな旋律が、震える空気を満たしていく。
メンバー達が、微笑みながら踊っている。
一番、幸せに溢れる曲。一番、柔らかで優しい曲。
私は、声を上げて泣いていた。
なんて美しいんだろう。何て、悲しいんだろう。
そこにいると思ってた人が、1人足りない。
居て欲しい人が、そこにいない。これからも、ずっといない。
優しいメロディーで充満した空気の未だ冷めやらぬ中、四方のモニターには、メンバーらのこれまでの姿が順番に映しだされる。年端もいかぬ頃からデビュー前、つい最近のものまで。
彼らが、互いにまだ出会う前の肖像。
彼らが出会って一つになったという奇跡が、この上なく尊くて、それ以上に、この場にいない1人の不在に胸が締め付けられるほど寂しい。
誰かがいなくなることは、別れというのは、何故こんなにも寂しいのだろう。出会った時は、生まれてきた時は、あんなに嬉しいのに。
自分が好きな人達が離れ離れになってしまうのは、時に自らの別離の何倍もの悲しみを伴う。私は、そこに勝手に、色々な夢を見ていたから。
人の夢に上がり込んでは、散々好き勝手に楽しんだ挙句、色とりどりのクレヨンでいっぱいに書いたその夢が、醒めて1人で泣いている。奇跡は、永遠なんかじゃなかった。

一つ気づいたことがある。
スタンディングDエリアからメンバーを見るには、どこであっても見上げなければ駄目だった。首をいっぱいに傾けて上方のステージを見ると、彼らが歌い、踊っている。
身体はすでに汗だらけで、それでも一瞬一瞬の生命を燃やすように、踊っている。その後ろには、美しい銀河が見えた。ファンが一生懸命に揺らす、銀色に輝く海が見えた。
こういうことなんやな、と思った。
いつも、私は、彼らを見上げている。彼らの輝きと、彼らを照らす銀色の光が眩しくて、とても美しい。まっすぐに見ようとしても、なかなかちゃんと見れない。そんな中でも頑張って、首を傾げて仰ぎ見ながら、目を細めながら彼らの像を目に焼き付けようとする。
「メンバーが前を向いて進んでいるのだから、私達も前向きにならなくちゃ」
何度も、何度も聞いた言葉。
最後のところで、どうしても納得できなかった。
ハムケ、ハダ。一緒に進む、という美しい合言葉。
「同じ方向を見て、一緒に進んでいる」という自分の思い込みが、実際と大きく食い違っているのを知ってから、その事実は、細い傷を絶え間なく付けられるような鈍い痛みを心中に呼ぶことを知った。
私は、ファンは、「前向きになる」ことを選択できるような、そんな立場にないのではないか。
「一緒に進んでいく」というワードは温かいけど、彼らと私達の道は別々だということは勿論、12人の道もまた1+1+…の集合であることを知った。
前向きになって11人を支持することは、クリスの不在を「受け入れる」ことなのか。彼を忘れたように振る舞うことなのか。過去を懐かしむ行為を断罪することなのか。同じ道を、11人にこれからも強制し続けることなのか。こんなに寂しいのに「前向き」にならなければいけないなんて、これは何かの拷問だろうか。
EXO=11の狼煙。それが「前向き」ということなのか。
違うと思った。
少なくとも、そんな「前向き」は自分には出来ないと思っていた。

会場いっぱいに歌い踊り、光り輝く彼らを見ている内に、その言葉の違和感について、一つの個人的な解を得た。
「前向きに」、「切り替える」、「割り切る」、「冷静に」。
私には、彼らの一挙手一投足とその決断について、前を向いたり後ろを向いたり、ポジティブとかネガティブを選択する立場にはない。そんなのはきっと、思いあがりだ。彼らの歩みはメンバー自身が決めることでしかないし、それを評価し断罪する行為は私達の能うるところではなく、無意味な憎しみだけを産んではこちらを放って去っていく。「前向き」になることも「切り替え」進むことも、「割り切る」ことも、主体は彼らだ、メンバー達だ。私には、過程ではなく既に「結果」となったメンバーの決意を受け取って、その歩みを遠く見守ることしかできない。
個人の決定の総体としてステージが在り、アイドルとしての彼がいる。そこから降りると決めたことについて、メンバーが彼を断罪することは仕方ないにせよ、どうしてファンが彼らに成り代わってその罪を問うことが出来ようか。同じ道を歩んでいるのは、彼ら12人だったのに。
道が異なってしまうのは仕方ない、と言い聞かせている。
去った背中を非難し、極限状態の中でこれからの決意を発する彼らのまなざしに、ともに在りたいと祈り、それに呼応し出来る限りの声を挙げたいと願う。
ただ、行き先を違えた者の残した軌跡までを0か1かで葬って先に進むことそれ自体を、前向きな、豊かな営みだとは到底思えない。メンバー達の「前向き」は、ポーズとして必要なものだ、それが本心であろうと虚実であろうと、それは私の知るところではないし、問うこともできない。ただ、ファンにもそのポーズは同様に求められるものなのだろうか?「冷静に」なんて、どうやったらなれると言うんだろう。あんなに、好きだったのに。今だって、大好きなのに。
彼の、彼らの決定を黙って見守る以外に残された、ため息を付いて背を向けるには私は彼らを愛しすぎているし、その情動を憎しみに変えるには、あまりにも勿体無いほどこの思い出は美しすぎる。
12人が11人に減った。それだけ。それが、悲しいだけ。寂しいだけ。
帰ってくるなんていう希望は早々に消えてしまったし、これからの活動だって、どっちも応援したいに決まってる。どっちかを憎むなんて、非難するなんて出来るわけないし、そんな権利も筋合い覚悟も欲望も、私には無い。
「これからが始まりだ」という文句も、ファンへのメッセージだということは分かるし、その言葉でメンバーらが自らに鞭打っているのだろうことも痛いほど感じている。
でも。
「イジェプットシジャギダ(これからが始まりだ)」その文言を印刷したスローガンが配られ、メンバーもそれを手にした最終日に、自分が居なかったことに心底ホッとした。それを掲げる選択を課されること無く「EXO、サランヘ」だけを掲げることができた昨日に、心から感謝した。
イ・スマンコールに揺れる会場で、自分が決断を迫られることを考えるだけで、総毛立つ程の恐怖を覚えた。
EXOの名を守り続ける彼らは、これからも前だけを向いて走り続けなければならないだろう、そういう場所に彼らはいる。だからせめて、少しだけ立ち止まれる時間を。11という数字の既成事実だけが重なって、それに心が鈍する前に。これまでとこれからを整理する、少しだけの時間をと願う。スタートが切られた、気の遠くなるような公演の日程を見ると、加速度を上げる個人スケジュールの発表を見ると、段々不安になってくる。
そうしないと、彼らもファンもこの「現実」に摩耗されてしまうんじゃ。だって、2年だ。1週間で前を向ける2年なんて、そんなの、嘘だ。信号一つで切り替えられる、簡単な仕組みの機械なんかじゃない。だから。だから。大きな声で「11」を、力強く「これが始まり」を掲げるメンバーを見ると、心臓のあたりがきゅうと音を立てる。喉の奥にある取れない塊がグッと上がってくる。それに激しく呼応する客席の叫び声に、足が竦んで動けなくなる。いつか、この強行軍が終わった時、彼らの脛には小さな傷が重なって赤黒く爛れてはいないだろうか。弾けた笑顔が張り付いて、固い能面になっていないだろうか。ファン同士の憎しみが固まって、心の隅を覆っていないだろうか。去っていったあの子の背中は、そのときまっすぐ伸びているだろうか。
それだけ、彼らの2年の体積は、重かったのだと信じたいから。
いつもメンバーが言ってくれる「一緒に進む(ハムケハダ)」というメッセージ。聞く度に嬉しく暖かくなるけど、それは叶わぬ夢、欺瞞だと今回のことで悟った。
彼らのステージを小さな光で照らして「共に在る」事はできるかもしれない。けど、「共にする」ことは出来ない。彼らが前を向くことと、私達が「前向きになる」ことは別々なのと同じ。
私は、前を向いた彼らと「共に在る」ことは許されても、それを「共にする」ことはできない。「12」から「11」の変化も、それを両腕に掲げて進んでいくことも、私には知る由もなかったし何の為す術も存在しない。何も出来ないし、いつも結果だけが後から両手に落ちてくるのだから。
彼らの決断を前に、それをひっくり返すことなんて出来ないし、小さく頷いてその「現実」を黙って胸に収めるしかできない。そして、唯一の残ったもう一つの選択肢、結果を受け取らずにその場を立ち去るには、手遅れなほど彼らを愛しすぎている。
私は。ファンというものは、いつも彼らを見上げている存在なのだと思う。
そこで、出来る限りの光と声で、彼らとともに「在ろう」とすることで、その道を照らす小さな灯になるしか、出来ることはないのだと思う。
前向きも後ろ向きも、ポジティブもネガティブも、そんなことを「選択」できるところに私はいない。
だから、この悲しみも怒りも、やるせない思いも、置いていかずに引きずりながら共に在りたいと願う。それが、進む彼らの軌跡を見続けるということだと思う。それが、かつて12人だった彼らの「ファン」である自分に唯一できることだと、そう思う。そして、前を向くと決めた彼らをずっと、まっすぐ見続ける。心の中で祈りながら。そういうことしか許されていないと思った。

私は、彼らをずっと、ステージの上で光に照らされる彼らをずっと、見上げ続けている。見上げながら、彼らの進む道を目で追っている。追いながら、自分にずっと問うている。美しさに涙しながら、興奮に震えながら、寂しさをあの手この手で誤魔化しながら。自分の感情と欺瞞の振り子に目を眩ませながら。いつかは忘れてしまうだろう自分の軽薄さに、時折目を瞑りながら。そして、少しずつ、本当に忘れていきながら。
彼らは、銀色の海に浮かんで眩しく光っている。その煌めきに、私は目を細めながら願っている。少しでもその輪郭に、この目に結ばれた像の中に、たくさんの嘘の中の幾許かの本当があることを。自分が、この輝きを、その本当を忘れないことを。願いながら、祈っている。この溢れる銀色の光が、これからも前に進み続ける11人と1人に、等しく降り注いでくれることを。彼ら12人一人一人の歩む道が、それぞれに豊かな微笑みで彩られることを。
会場を出て、桟橋のふもとで友人と合流する。「ウェーイ!」とハイファイブをして、興奮気味に彼らの姿を描写する。すっかり暗くなった空には、「We are one」の風船がぼうっと浮かんで見えている。止まらないコンサートレビューを続けながら、もう一つの頭では、銀色の海を眺めている。かつて12人だった青年らを包む、「ギャラクシー」と呼ばれた光の海原をずっと思い出している。

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